もっぱら最近は引き篭もり仕事が多く、夕ご飯を食べた後、お酒を飲みながら人恋しさで友人に電話をかける毎日を過ごしています。今村です。
最近はミックス、マスタリングのみのお仕事をする機会がありまして、自分の中での色々な発見があったことをアウトプットしようとこの記事を書いております。
まず音楽においての編曲 (アレンジ) と言っても一言では表せないし、音楽の現場で働いている人によっても解釈が違う状況に面したことが多々ありました。
・作曲、作詞
・編曲
・ミックス
・マスタリング
よく聞く言葉で言うと音楽の作品が作られる際にこのような工程が組まれるわけですが、皆さんはどう言う意味を持ってこの言葉を理解しているか気になる次第であります。
また日本ではこの役割というのをしっかり分けて捉えたいという方向性があるのかなと何となく思っています。
それは「作曲をした」という証拠を目に見える書類、譜面で音符を納めないと認められない(今はそんなやり方してないけど。)という古い文化がまだ根にあり著作権等の線引きをしっかりしたいがため...というような情報をどこからか耳にした覚えがあります。
だから目に見える形の譜面として落とし込めるメロディーにしか価値を見出さない。という風に。
ですが、最近はコライト(複数人で作曲をする)というようなものが増えてきています。
そこにはそれぞれの役割があって、コード進行を作る人、そこをもとにメロディーを作る人、そこからトラックを作る人。(もちろん順序は様々。)
というように1曲を複数人で作っていくというような工程が多くあります。
じゃあその中で作曲者は誰?ってメロディーを作った人と決めつける必要がありますかね。皆さんどう思いますか。
メロディーを作った人=作曲、となるでしょうか。
僕はそういう考え方自体が古くなってきているのかなと思う次第であります。
作品全体を聞いたときにどういう演出をするかとか。一曲をみんなで作り上げたという作品に対して、作曲者という一人称を作り上げる必要なんてないと思うんです。
分かりやすいところだとジャパニーズカラオケにはよく作曲、作詞というような名目が載っていますが、あれはあくまでも表向きの表示だと思っています。もちろん楽曲によって作曲者がアレンジから最後まで全てを管轄していることもあれば、そうでない事も沢山あります。
自分がどうのこうのという話ではなく、普段アレンジという仕事をしているからこそ、そこに対しての大きな敬意があります。曲をよくするのも悪くするのも、トータルマネージメントです。それの多くの要素を担っているのが編曲者だと思っています。(もちろんディレクター、プロデューサー含む。。)
僕が大好きな安藤裕子さんも編曲者が山本隆二さんではなかったら僕は好きなってなかったと思います。。
また別の角度の話をすると、
「ミックスってアレンジだよね。」
これは尊敬するアレンジャーさんから言われた言葉です。もうその通りで、どうミックスするかで音楽なんてどうでもなるし、それを理解している事がミックスエンジニアにとっても大事な事だと思っている。
つまりは全ての工程が大事であって、メロディーだけを作った作曲者が誰々です!=この人が全部作りました!と見えるような表記の仕方というのは印象として膨れ上がり過ぎてるんじゃないかなという風に思っているお話をしたかったというわけです。
これを全ての音楽聴衆者に理解して欲しいわけではありません。
ただただ、
全てのアーティスト、ミュージシャン、エンジニアに敬意を示します。
IMF代表:今村良太
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